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鳥潟会館

お盆で実家に行っていて、ついでに建物の写真をとってくる課題がある娘をつれて実家のすぐ近くの鳥潟会館へ行ってきた。
鳥潟会館についてくわしくはこちら

鳥潟会館については以前もこのブログで紹介したが、あのときは夕方だったのと時間がなかったので写真も良く撮れていない。こんどこそいい写真が撮れたかというと、こんどはなにしろ娘の課題なので、写真は主に娘が撮った。そのなかからいくつか紹介する。

門前にある説明板。・・・う~ん・・・これ見ただけで、いいかげんに扱われているようで見るのやめる人もいるんじゃないだろうか。もう少しちゃんとしてほしいもんだ。常時無料見学が出来て案内もしてくれる人もいるんだから、もったいない。

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庭に入ってすぐに向かえてくれる「待ち合い」
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曲がった自然の丸太を上手に使って、昔の大工さんの技術感性がすばらしい。だけど、地面が赤いモルタルなのはなぜ???

庭をぐるっと回って茶室。2年前のときと屋根の形がちょっと変わってます。修理したみたい。説明してくれた人によると、茅葺き職人にも流派があって、以前と違った形になったそうな。・・・それでいいのかな? まあいいか。
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ちなみに以前のブログ
見比べるために同じアングルから撮った写真。
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屋根がモッコリと大きくなった感じ。

以前撮れなかった内部
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暗かったのでブレてます。

築役400年の重みがあります。ここで生まれ京都大学の名誉教授になった鳥潟隆三博士が増築したのは昭和で、この部分はそれ以前の古い部分。

柱などもちょうな掛けです。
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話は突然変わりますが、よく聞かれるのが私とこの鳥潟会館の関係。名字が同じで同じ地域出身ですので、実は  子孫ですと  言いたいところですが、そうではありません。まったく関わりないかというとほんの少しはありそうですが、実のところよく分かりません。まあ直系でないことは確かです。

鳥潟という名字は非常にめずらしいと思いますが、この鳥潟会館のある地域ではそこら中鳥潟です。大館いるとなんとも思いませんが、他へ行くとまず読めませんね。トリガタとは。
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木材会館

大館市にはあの白井晟一設計の建物が実はある。白井晟一についてはこちら/またはこちら

旧大館木材会館です。その竣工時の写真を見せていただいた。建設当時の木材会館現在の位置からずいぶん離れた場所に建っていたとのことです。写真を見ると現在の駅近くのジャンボグリーンのあたりのように見えるけど、それとも線路を超えた元の木材会社「北秋」の場所だったのか、私には定かでありません。たぶん関係者に聞けば分かると思いますが、まあいいです。(なにが?)

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この外観は旧秋の宮村役場にそっくりです。バルコニーの手摺壁が真っ白なのが印象的です。手摺の上には笠木もありません。スッキリとした白いライン状のバルコニーの壁とバックの壁の色の対比に白井晟一らしからぬというからしいというか、モダンなものを感じます。

この写真、竣工式の出席者にでも配布されたものなのでしょうか。ちゃんとしたカメラマンが撮っていると思いますが、右側がぼやけています。ブレたのか、あるいは当時のカメラは被写界深度があさくてピントのあう範囲が狭いのか分かりませんがちょっと変です。

これはエントランスの部分です。
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エントランスのドアが天井一杯なのがやはりこの辺の設計じゃないことを感じさせます。でもこの写真もなんか変です。目の前に丸い柱がどっかりとあって邪魔です。ドアの開き方も中途半端で、スナップ写真のようにも感じます。この丸い柱を見せたかったのか ???

これは2階のホールです。
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勾配天井で、梁型が出ていますが、その梁の両端からスチールの丸棒がのび中央でターバックルでジョイントされてます。この細い丸棒はタイバーの役目をしているのでしょうか。もしそうだとすると構造的に大変重要なものなのでしょうが、それにしては細い気がします。しかもその丸棒から照明器具がぶら下がってます。照明器具からコードが見えないのですが、まさかこの丸棒の中をコードが走ってるんじゃないでしょうね。昔なんどか入ってますがどんな天井だったか記憶にありません。フラットだったような・・・

これが現在の姿です。
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聞くところによると、以前建っていた場所から曳家したそうです。その時線路を超えて曳いたと聞いたような気もします。はっきりしませんが。
現在はある電気工事会社のものになっています。この建物を取得するときに白井建築を残したいので取得したと新聞で見ました。以前は看板に白井晟一設計とか書いてあったような気がしますが、この写真を撮りに行ったときにはもうその看板はありませんでした。
外壁も、バルコニーの手摺も変わってます。開口部も殆どFixだったのが引違のアルミサッシに変わってます。

これはたぶん竣工時に配られた概要を示すものです。ハガキ大です。
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しっかりと建築設計 東京白井晟一建築研究所と書いてあります。

あるHPでは軒の出を短くしたために、白井晟一が激怒して白井作品と認めなかったと書いてありました。たしかに以前誰かに軒を短くしたというような話しを聞きました。

出来ればこんど中を見せていただきたいと思います。

大館鍛冶町の建物2

昨日アーケードについてつい調子に乗って書きすぎてしまったと少し反省。予算や法規に縛られ思うように出来ないのは常に設計者の悩みであった。考えてみればどこの街でもアーケードはこんなもんだった。アーケードで成功しているところってあるんだろうか。東北だと仙台一番町通り? あんまりあっちこっち行った事がないので良くは分からないけど知ってる範囲では一番町かな。
似たモノで「がんぎ」あるいは「こみせ」と言われる雪国の伝統的アーケードは町並みに彩りをそえていた。らしい。この近くでは鹿角の関善前にわずかに残るだけなので連なった様子を見た事はないが、伝統的建物群とセットで現存していれば、それはきっと素敵に見えるだろう。アーケードとこみせ、一体何が違って醜悪と素敵に差がつくのだろう。
この話について長々と書くつもりはなかったのに、またつい口が(手が?)すべっていく。
今日は昨日残した鍛冶町の大物。
コレ
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今大館の大町再生で核となる施設の計画が提示されいろいろ議論されてる場所です。
この2階から上は元は市営住宅でした。(現在使われていません)そしてその下には民間の店舗が入ってます。詳しくは分かりませんがこういう形態(民間と公共の一体化)って新しい?気がするのですが。下のお店は家具屋さんと刃物屋さんと農機具屋さん(耕耘機など展示してます)等です。街のど真ん中で耕耘機を売ってるんですから。やっぱり鍛冶→農具→農機具と変化したんでしょうか。
実は以前はここに住む事に憧れてました。我が家の子供たちは今でもこんなところに住んでみたいと言ってます。なぜって、結構キレイだと思いません?白っぽい外壁に緑色の窓。庇や柱のとの取り合いのディテールもなかなかです。これで下に食料品でも売る八百屋や肉屋や魚屋さんなんか入ってたら最高です。市営住宅だから家賃は安いだろうし、街の真ん中に住めて生活にも便利。
現在も営業を続けているお店があるのに勝手な事言ってます。すみません。
耐震の問題やら土地の権利関係等一杯問題があるようですので仕方がないとは思いますが、個人的にはこのまま改修出来ないのかなと思ってます。勝手に大館の表参道ヒルズと読んでます(うそ)

大館鍛冶町の建物

2日土曜日、午前中大館市内鍛冶町付近の写真を撮りに出かけました。大館は大火の町で何度も火事で街が焼かれ、古い建物があまり残っていません。でもちょっと前の建物もなかなか見応えがあります。設計者あるいは、建て主の根性が見て取れて面白いのです。
まずはコレ。新町の交差点にある建物です。
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構造はRC(鉄筋コンクリート造)でしょうか。2、3階部分に注目。中央付近から右側のアール部分まで窓が続くカーテーンウォールになってます。そして中央付近、屋上へ上がる塔屋のある下の窓。小さな窓が等間隔に9個並び、その左側には細長い縦型の窓や横型、あるいはL型の窓がランダムに配置されポストモダンかあるいはダダかといったザンシンさがあります。
続いてコレ
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写真中央の建物。窓を印象的に囲ってます。そしてその上に高々と背伸びするように持ち上がるウイング?が意味なく素敵です。その右側は金物店です。ここ鍛冶町は今でも金物や刃物屋さんが多いところです。昔鍛冶屋さんだったところが金物屋さんとして残ってきたものと思います。板金加工の外壁が見応えがあります。看板も板金でつくられしっかり残ってます。

続いて
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この高い方。うどん店の看板を入れるスペースを縦に残してその左に縦型に窓が連なり、最上部で横に折れてデザインされてます。そしてその右側の部分
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たぶん元々は手摺ではなかったかと思われますが、五つの丸い穴をあけてなかなか洒落てませんか。
どの建物も私にとっては素敵に感ずるのですが、手入れがほとんどされてないので傷みがひどくなっているのが残念です。それと下のアーケードのデザインはこれらの建物に比べてひどいと思います。ただ屋根があれば良いって考えでデザインなどどうでも良いというモノです。大館の中心部大町から連なる商店街がさびれた一因ではないかと憤りすら感じます。
鍛冶町にはもう一つ大物がありますが、それは後日。

大館の建築 桜櫓館

桜櫓館は市役所の近く、大館郵便局の北側にあります。郵便局が建てられるときに曳き家したとのことなので、元々は現在の郵便局あたりにあったのでしょうか。そのためか、玄関前が郵便局の北側に近く、少々窮屈な感じです。
外観は全体は和風ですが、東側に突き出た洋室部分だけが洋風です。それでいてなんの違和感も感じないのはこの建物のプロポーションの良さからくるような気がします。最も特徴的なのは2階の屋根から突き出た四方窓の小さな展望室です。

東側の入り口付近から(写真はクリックすると拡大します)
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近寄ってみると突き出た洋室部分の窓などの細部がとても奇麗です。
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玄関前。
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玄関を入ってすぐ右の洋室の天井。
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至る所にこのような繊細な組子があります。
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玄関から左側が縁側になってます。この縁側に使われている長~~~い一枚板の床材や梁、長押など、いまではなかなか手に入らないものばかりです。
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これが2階から展望室へ行く階段。巾40cmほどの超せまい階段です。
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これが3階にあたる展望室。天井は低くて立ち上がったら頭をぶつけてしまいそう。
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ここに至る、階段から2階の屋根裏を通ってくるルートは子供だったら喜びそうな秘密めいたものがあります。もしかして建築当初はこれはなくて、工事途中に思いついて無理矢理つけたのではと思ってしまいます。

現在所有、管理されているのは個人の方です。桜櫓館は大館町長だった桜庭文蔵氏の自宅でした。その後株式会社イトウ(大館の建設会社)で所有していたけど経営が厳しくなって、それを大館の文化財を守っていかなければと買い取ったように新聞に載ってたと記憶していますが、いつでも見学出来るように奇麗にされてます。頭が下がる思いです。

最初にプロポーションが良いと書きましたが、この建物は2階建ての上にちょこんと展望室が出ています。その割には背が高いように感じます。現在の一般的な住宅よりは2階部分が高いと思います。それでバランスが良く感じるのでしょうか。屋根は洋風切り妻、入母屋、寄せ棟の混合ですが絶妙な取り合わせで違和感なくおさめてられています。設計者、大工さんの腕がよいのでしょう。昔の日本人にはすぐれたバランス感覚と繊細な美意識があったと感じます。ひるがえって現在の住宅事情を見ると、・・・・美しいでしょうか? 勉強しなくては!!
桜櫓館について詳しくはこちら

大館の花街

かつて大館の料亭街だった幸町を歩いてみた。ここには6~7件の料亭がありその道は桜並木だったが6~7年前幹線道路がその桜並木と料亭街を分断する形で出来てしまった。
時代の流れは止めようもなくかつて華やかだった料亭もやめたところもあり、また残っているところもあまり手入れされなくなっているようす。でも今日行ったらある料亭では庭師が木の手入れをしているところだった。建物まではなかなか手が回らないか。古き良き時代の木造建築を今のうちに写真に撮っておきたいと思ったが、突然行っては失礼と今日は外観をこっそり撮ってきた。いずれ内部も撮らしてもらいたいものだ。

吉野家
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窓の手すりが全部違うデザインになっている。昔の大工の繊細さがすばらしい。
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末広亭
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軒を支える持ち出しの美しいデザイン。スチールでも長持ちしているのはなぜ?

これも料亭だったと思う。建具の格子がきれい。
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東側を見る。道路の中心に桜並木。奥の正面に料亭の北秋クラブがある。
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西側を見る。手前が新しい道路。桜並木の右側が吉野家。左が料亭だったろう建物20061125182338.jpg


桜並木は春にライトアップされる。

たしかに新しい道路が出来て便利になった。おれも始終通っている。でも失ったものも大きく複雑な気分。いや個人的には別に新しい道路はなくても良かった。それでとても不便を感じていたわけじゃないから。あれば便利だが、世の中車中心の社会で、車だからこそ少しぐらい回り道でもいいじゃないのと思う。ヨーロッパなどでは入り組んだ街並みが観光地として素敵だったりするわけだから。日本の街造りはアメリカがお手本だからおれのようにどっちかというと米より欧が好きな人間は、もう少しヨーロッパをお手本にしたり、日本的だったりしてもいいじゃないのと思ってしまう。

大館の理想宮?

シュバルの理想宮って知ってますか。ほとんど知らないでしょうね。フランスのオートリーブというところの郵便局員シュバルが33年かけて石を積み上げて造ったかな~り危ない驚きの建物というか、まるでアンコールワットの小型版といったものですが(画像はここ)、
大館にもあるんです。似たのが。シュバルまではいきませんが、かなりのもんです。
建て主さんがこつこつ造っているらしいのですが、あって話は聞いたことはありません。ちょっとコワイかも

外観はこんなかんじ
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近づいてみると
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銀色に塗られた屋根の飾りは木で作って銀色の塗装をしているようだ。

門まで抜かりはなくこんなかんじ
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門の右隣
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正面上の方に黄色っぽく見えるのは亀です。左上にある木も緑色に塗った岩のように造られたものに丁寧に植えてあるらしい。

2階のようなところをアップしてみると中に扇風機が。部屋になってるのかな~
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家の裏もこんな感じ。
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実は門の中も相当なものの感じ。庭になってるけど、なにやらすごい気配がある。
この表現力、ただものじゃあないですね。とても我々設計屋にはできない。

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