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パソコンアタマ

ヤバイ!なにがって。昔撮った写真が見当たらなくて(当然銀塩写真)なんでケンサクできないのと考えてしまった。相当侵されてる。何でもかんでもパソコンでと考えてしまう自分が、かな~りヤバイ。
手を動かせ!と若いヤツには言っておきながら、自分の手はパソコンの上。

ほんと、だから字なんかもう書けない。小学1年生の感じが書けない。‥そしてこんな間違いをする。正しくは小額1年生の漢字…もとい小学1年生の漢字  ああなさけない。
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父の死後

葬儀関係の後始末はとっても長い。今日でようやく香典返しの手配も終わったし、喪中はがきも出し終わってやれやれといったところです。実家とは車で20分ぐらい離れているので言ったり来りで結構時間がとられてしまい、なかなか進まなかったけど、これで一安心。離れて住んでいるのに長男ということで喪主という立場になったけど、どうも日本のシキタリには?の部分が多いと感じます。僕の感覚からすると母が喪主になるべきのような気がしますが、皆からお前だと言われしぶしぶ喪主に納まってましたが、一緒に住んでいないので、住所が違ったりでなんか変です。
でも、ま いっか! 母も年で大変そうだし、耳は遠くなったし。なにより、やっぱり寂しそうで、こんどは母が心配です。

それにしても男88歳まで生きるというのは、それはそれで寂しいもんだなとつくづく感じました。なにしろもう友人知人がほとんど亡くなっていて、昔あんなに年賀はがきをだしていたのに、喪中のはがきを出す相手なんてほんの少ししかいないんだから。

自分で出すほうの喪中はがきのために以前の年賀状を出していて、つい妻が亡くなったときの喪中はがきを見つけて読んでしまい、また涙してしまいました。

今日のこと色々

今朝は冷え込んだ。起きると外は霜で真っ白。晴れていたので朝日が当たってとてもキレイ。家にいながらこの景色を眺められるのはこの家ならでは。
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外に出てみると雑草さえこの美しさ。でも当の雑草はこの霜でやられるだろうな。
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事務所の机に二ツ井町の里山のデザインコンペの案内が上がっていて、内容は「白神山地に近い山懐に一軒の家に住む老人とそこでこれから芸術活動とネイチャーガイドを行おうとしている人がいるのみでそこで何かアイディアを」というもので興味が出てさっそく行ってみることにした。
途中で携帯にTELが入り、そのコンペの仕掛け人のモクネットの加藤さんからだった。ちょうど二ツ井町の種梅ふるさとの家の前だったので、そこで加藤さんを待つことにした。
種梅ふるさとの家では冬囲いが行われていて、ちょうど休憩ちゅうだったところへおじゃました。
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ここは2年ほど前に杉のシンポジウムがあり来たことある。近所の人たちが気軽に声をかけてくれ入れ入れといってくれジュースをもらった。

加藤さんも到着して一緒にコンペの舞台窓山に向かった。いや~山奥も奥。加藤さんがいなかったら絶対たどり着かなかった。ほんとに白神山地の麓といった感じ。

山の上から見た窓山
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山を下りると周囲が山に囲まれた小さな盆地になっていて、古い家が2軒ほど。でも住んでいるのは一人とのこと。そこでネイチャーガイドの‥‥え~と…名前忘れた・・・すみません‥‥の方がいました。ここにログハウスを建てて拠点にしようということらしいです。
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すでに建ってるログハウスです。物置になっているふうです。
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手作りだそうです。隣に建設途中のログもありましたが‥

この方がネイチャーガイドの…え~と…○○さんです。
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海外へも始終行ってるらしいです。

向こうに見えるのが白神山地。
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窓山についてはこちらをどうぞ

冬は厳しいだろうな。でも確かに素敵な場所でした。


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大館の花街

かつて大館の料亭街だった幸町を歩いてみた。ここには6~7件の料亭がありその道は桜並木だったが6~7年前幹線道路がその桜並木と料亭街を分断する形で出来てしまった。
時代の流れは止めようもなくかつて華やかだった料亭もやめたところもあり、また残っているところもあまり手入れされなくなっているようす。でも今日行ったらある料亭では庭師が木の手入れをしているところだった。建物まではなかなか手が回らないか。古き良き時代の木造建築を今のうちに写真に撮っておきたいと思ったが、突然行っては失礼と今日は外観をこっそり撮ってきた。いずれ内部も撮らしてもらいたいものだ。

吉野家
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窓の手すりが全部違うデザインになっている。昔の大工の繊細さがすばらしい。
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末広亭
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軒を支える持ち出しの美しいデザイン。スチールでも長持ちしているのはなぜ?

これも料亭だったと思う。建具の格子がきれい。
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東側を見る。道路の中心に桜並木。奥の正面に料亭の北秋クラブがある。
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西側を見る。手前が新しい道路。桜並木の右側が吉野家。左が料亭だったろう建物20061125182338.jpg


桜並木は春にライトアップされる。

たしかに新しい道路が出来て便利になった。おれも始終通っている。でも失ったものも大きく複雑な気分。いや個人的には別に新しい道路はなくても良かった。それでとても不便を感じていたわけじゃないから。あれば便利だが、世の中車中心の社会で、車だからこそ少しぐらい回り道でもいいじゃないのと思う。ヨーロッパなどでは入り組んだ街並みが観光地として素敵だったりするわけだから。日本の街造りはアメリカがお手本だからおれのようにどっちかというと米より欧が好きな人間は、もう少しヨーロッパをお手本にしたり、日本的だったりしてもいいじゃないのと思ってしまう。

大館の理想宮?

シュバルの理想宮って知ってますか。ほとんど知らないでしょうね。フランスのオートリーブというところの郵便局員シュバルが33年かけて石を積み上げて造ったかな~り危ない驚きの建物というか、まるでアンコールワットの小型版といったものですが(画像はここ)、
大館にもあるんです。似たのが。シュバルまではいきませんが、かなりのもんです。
建て主さんがこつこつ造っているらしいのですが、あって話は聞いたことはありません。ちょっとコワイかも

外観はこんなかんじ
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近づいてみると
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銀色に塗られた屋根の飾りは木で作って銀色の塗装をしているようだ。

門まで抜かりはなくこんなかんじ
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門の右隣
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正面上の方に黄色っぽく見えるのは亀です。左上にある木も緑色に塗った岩のように造られたものに丁寧に植えてあるらしい。

2階のようなところをアップしてみると中に扇風機が。部屋になってるのかな~
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家の裏もこんな感じ。
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実は門の中も相当なものの感じ。庭になってるけど、なにやらすごい気配がある。
この表現力、ただものじゃあないですね。とても我々設計屋にはできない。

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おもわず笑ったホームページ

寝る前にネットサーフィンをしていて見つけた、思わず笑ったホームページはここです。大館の階段を得意とする鉄工所ですが、シャレっけがありますな~。
螺旋階段を得意としてますから、螺旋階段を欲しい方は相談したら? 当事務所で設計した高館公園管理棟の螺旋階段も造ってもらいました。

オープンデスク

10月から近くのポリテクカレッジ(職業能力開発短期大学校大館校)から学生さんが一人水曜日の午後だけオープンデスクで来ている。こちらの父の葬儀があったり、学校の都合などで毎週というわけにはいかず、とびとびになってしまいCAD(パソコンを使って図面を描くソフト)の操作もなかなか習得できないようす。
CADは学校ではJWCADを学んでいるが、当事務所はVectorWoksなので勝手が違い、こちらはつきっきりで教えなくてはならなくなる。しかしその前に図面を指示通り描くにも、建築の構造や納まりなど様々なことが下地にあって初めて描けるものなので、まずそこから教えていかなくてはならない。
なにしろ描く図面は実際に現場で使われるものなので、いい加減には描かせられない。だからミリ単位の納まりをスケッチを描いて説明し、その上でこんどはCADの作図法を教え込むことになる。でもたぶんスケッチを見て説明を受けても実体験として全くないこと、見たこともないことなのでおそらくちんぷんかんぷんだろう。
来ている学生は将来東京の設計事務所で働きたいと希望を持っているとのこと。だったら、工事中の現場に夜や早朝に忍び込んでも、現場を見ておれが描いたスケッチはどういうことかを確認するだけのやる気のある人間だったら将来に見込みがあるんだけどな。
安藤忠雄はそんなことをやったと自身が書いた本にたしか書いてあった。

ちょっと時間ができた

ので、来年2月で事務所開設15周年になることから、2月に15周年展を企てていて、そのためのアトリエ105のカタログ作りをやっている。これまでの作品?と言えるほどのものでもないけど、設計監理した物件の主なものを写真などで紹介するアトリエ105総合カタログ的なものを考えている。で、ノートに件名を書き出してみたが、これが少ない。15年でこれだけ?と自分でも思ってしまった。年平均2件にもならない。開設後数年間は知名度もないので設計監理の仕事はほとんどなく、元の建設会社の下請け仕事でもってた、というよりそれに依存してたところがあって、逆にそのために営業などしたことがなかった。(もっとも今も営業はほとんどしたことがないけど。)下請け仕事より元請けで設計監理までするほうが多くなったのはつい最近のこと。だから、よく考えると15年で年平均2件にもみたないのは当然か。

以前は雑誌にも投稿して何件かは建築関係の雑誌にも取り上げられたが、最近は投稿すらなんか面倒でしていない。だから雑誌に載ることもない。
今の営業的なことはホームページやこのブログだけ。
そのホームページが更新できないので、(これについては10月22日に書いた)ついでにホームページのデザインも一新しようかなとこれまた面倒なことも考えてしまってる今日この頃である。

大仙市の事件

いや~びっくりしましたね。大仙市で4歳の子が用水路で亡くなった事件の犯人がまたまた実の母親というのも驚きですが、もう一人の犯人が当事務所から100mぐらいしか離れていない、娘の通う高校の技師だったとは。午後からマスコミが押し掛けて大変なことになっていたらしいのですが、ちっとも知りませんでした。娘が早く帰ってきて知りました。
明日夕方6時から緊急PTAが開かれるそうです。
子供の自殺問題といい、いったい日本はどうなっちゃったんでしょうか。

弁当から

毎日高校生の娘二人の弁当を作ってるが、今日下の娘が「ごめん!今日調理実習があるから弁当いらない」と言う。それで自分で作った弁当食べたことなかったので、自分で食べてみることにした。弁当ったって、冷凍食品オンパレードで、ひどい時には100%全部冷食のときもあるが、子供達がどんな感じで食べてるか、自分で食べてみれば分かるはず。
食べてみて、まあこんな感じだろうなと特にまずいとか美味いとかいうものでもなかった。

で話が飛躍するが、住宅の設計も似たようなところがあって、実は設計者は完成まで何度もその家を訪れ見ているが、生活はしたことがない。本当は生活してみないと分からないことが一杯あって、生活してみて初めてここはこうした方が良かったとか、これは駄目だったとかが現れるが、そんなこと感ずることもできない。だからなかなか次に活かされない。

でもまさか1年ぐらい生活してから引き渡しというのも出来ないし、精いっぱい完成後の生活を想像してみたり、完成した家に何度も行って住んでみてどうかを聞いて、次はへ活かすしかないのだ。

そういえば少し前になりますが、お風呂がちょっと個性的な家で、打ち合わせの時に「完成したら真っ先に鳥さんにお風呂に入ってもらわなくちゃ」と言っていましたが、結局実現しませんでした。

北海道の竜巻き

昨日の竜巻き、大変ですね。TVのニュースで竜巻の専門家と言う人が、現在の家や建物は突風に対して配慮ができていないと言うようなことを言ってましたが、耳の痛い話です。確かに地震に対する基準よりはやや風、特に突風に対しては考慮が足りないかもしれません。
ただ現在の基準法で造られた家はほとんど40~50m程度の風では大丈夫だと思います。
普通に基準法どおり造っても、現在ではホールダウン金物や、アンカーボルトで基礎にがんじがらめにくくりつけられているので、おいそれとは基礎から家が持っていかれることはないでしょう。倒壊に対しても耐力壁がしっかりとしていれば、まずだいじょうぶでしょう。

しかし、物が飛んできて窓ガラスが割られると、そこから風が家の内部に入って屋根が持ち上げられてしまう可能性がありそうです。風が吹くと屋根には負圧の力がかかりますが(そのため屋根の鉄板がよく持っていかれてます)、その上内部に入った風で天井を押し上げられたら、ちょっと恐いです。屋根垂木が強風で外れないように金物でしっかりとめていれば有効だと思いますが、それは特に基準法で謳っているわけではないので、工務店しだいということになります。あるいは設計事務所(例えばアトリエ105!なんちゃって)にしっかり監理してもらうか。

窓を割られない有効な手だては雨戸ですが、北日本側は台風による被害が少ないせいか、あまり雨戸をつける家はないようです。

これからは日射を制御して、風もある程度取り入れることができて、防御もできる雨戸が売れるかも。

父の死

11月1日AM1時25分 父があの世へと旅立ちました。満87才。男で87才といえば平均寿命を超して長生きでしたが、父はまだまだ逝きたくなかったでしょう。まるで目を閉じればその時が最後と思ってか、ぎりぎり最後まで目を開けていました。とにかく健康には気を使う人でした。父の死後、母や僕や姉達、孫達に当てて書こうとしたメモが見つかり、その中の母に当てたメモには、自分でも「健康には人の3倍も気を使ってきたが…」と書いてありました。クコの実で作ったクコ酒、コンフリー、ニンニク酒、松の葉のジュース、野菜ジュース、毎日の歩き、毎朝の運動、2個のクルミの実で手を刺激する運動、目を刺激する瞼のマッサージ、数え上げればきりがないぐらい、いろんな健康法を若い時から実践してきました。皆から元気だ元気だと言われ、100才ぐらいまでは生きるつもりだったのではないでしょうか。

姉、兄が50歳代で癌で死亡し、癌家系と考えて自分はならないぞと、そのための健康法だったような気がします。しかし、2001年胃に小さな癌が見つかり、手術しました。その時すでに82才。家族は年齢から手術はどうかと思いましたが、本人は希望しました。手術して治すと思ったのでしょうが、手術直後に癒着をおこし再手術となり、この時死を覚悟し、その時に先の家族へのメモをしたためたようです。1か月以内の2度の全身麻酔の手術は82才の年齢にはやはりこたえたようで、その後体の調子は目に見えて衰えていきました。歩行が変になり、おかしいなと思っていたら「パーキンソン病」でした。それでもニンニク酒は毎日飲み、運動も欠かさず必死に抵抗していました。今年3月に肺炎にかかり、その後寝たきりになってしまいましたが、外には出たがり、姉や孫達が車いすで散歩に連れて行くのを楽しみにしていました。

僕の妻が先に入っているお墓に入りましたが、まだこの世に未練があって行きたくないと言ってるような気なします。

しばらくは二人で仲良くやってよ、父さん、尚。母さんが心配だけど、まだ当分そっちへは行かせないし、僕もまだまだ行けないから、ね。