木材会館
大館市にはあの白井晟一設計の建物が実はある。白井晟一についてはこちら/またはこちら
旧大館木材会館です。その竣工時の写真を見せていただいた。建設当時の木材会館現在の位置からずいぶん離れた場所に建っていたとのことです。写真を見ると現在の駅近くのジャンボグリーンのあたりのように見えるけど、それとも線路を超えた元の木材会社「北秋」の場所だったのか、私には定かでありません。たぶん関係者に聞けば分かると思いますが、まあいいです。(なにが?)

この外観は旧秋の宮村役場にそっくりです。バルコニーの手摺壁が真っ白なのが印象的です。手摺の上には笠木もありません。スッキリとした白いライン状のバルコニーの壁とバックの壁の色の対比に白井晟一らしからぬというからしいというか、モダンなものを感じます。
この写真、竣工式の出席者にでも配布されたものなのでしょうか。ちゃんとしたカメラマンが撮っていると思いますが、右側がぼやけています。ブレたのか、あるいは当時のカメラは被写界深度があさくてピントのあう範囲が狭いのか分かりませんがちょっと変です。
これはエントランスの部分です。

エントランスのドアが天井一杯なのがやはりこの辺の設計じゃないことを感じさせます。でもこの写真もなんか変です。目の前に丸い柱がどっかりとあって邪魔です。ドアの開き方も中途半端で、スナップ写真のようにも感じます。この丸い柱を見せたかったのか ???
これは2階のホールです。

勾配天井で、梁型が出ていますが、その梁の両端からスチールの丸棒がのび中央でターバックルでジョイントされてます。この細い丸棒はタイバーの役目をしているのでしょうか。もしそうだとすると構造的に大変重要なものなのでしょうが、それにしては細い気がします。しかもその丸棒から照明器具がぶら下がってます。照明器具からコードが見えないのですが、まさかこの丸棒の中をコードが走ってるんじゃないでしょうね。昔なんどか入ってますがどんな天井だったか記憶にありません。フラットだったような・・・
これが現在の姿です。

聞くところによると、以前建っていた場所から曳家したそうです。その時線路を超えて曳いたと聞いたような気もします。はっきりしませんが。
現在はある電気工事会社のものになっています。この建物を取得するときに白井建築を残したいので取得したと新聞で見ました。以前は看板に白井晟一設計とか書いてあったような気がしますが、この写真を撮りに行ったときにはもうその看板はありませんでした。
外壁も、バルコニーの手摺も変わってます。開口部も殆どFixだったのが引違のアルミサッシに変わってます。
これはたぶん竣工時に配られた概要を示すものです。ハガキ大です。

しっかりと建築設計 東京白井晟一建築研究所と書いてあります。
あるHPでは軒の出を短くしたために、白井晟一が激怒して白井作品と認めなかったと書いてありました。たしかに以前誰かに軒を短くしたというような話しを聞きました。
出来ればこんど中を見せていただきたいと思います。
旧大館木材会館です。その竣工時の写真を見せていただいた。建設当時の木材会館現在の位置からずいぶん離れた場所に建っていたとのことです。写真を見ると現在の駅近くのジャンボグリーンのあたりのように見えるけど、それとも線路を超えた元の木材会社「北秋」の場所だったのか、私には定かでありません。たぶん関係者に聞けば分かると思いますが、まあいいです。(なにが?)

この外観は旧秋の宮村役場にそっくりです。バルコニーの手摺壁が真っ白なのが印象的です。手摺の上には笠木もありません。スッキリとした白いライン状のバルコニーの壁とバックの壁の色の対比に白井晟一らしからぬというからしいというか、モダンなものを感じます。
この写真、竣工式の出席者にでも配布されたものなのでしょうか。ちゃんとしたカメラマンが撮っていると思いますが、右側がぼやけています。ブレたのか、あるいは当時のカメラは被写界深度があさくてピントのあう範囲が狭いのか分かりませんがちょっと変です。
これはエントランスの部分です。

エントランスのドアが天井一杯なのがやはりこの辺の設計じゃないことを感じさせます。でもこの写真もなんか変です。目の前に丸い柱がどっかりとあって邪魔です。ドアの開き方も中途半端で、スナップ写真のようにも感じます。この丸い柱を見せたかったのか ???
これは2階のホールです。

勾配天井で、梁型が出ていますが、その梁の両端からスチールの丸棒がのび中央でターバックルでジョイントされてます。この細い丸棒はタイバーの役目をしているのでしょうか。もしそうだとすると構造的に大変重要なものなのでしょうが、それにしては細い気がします。しかもその丸棒から照明器具がぶら下がってます。照明器具からコードが見えないのですが、まさかこの丸棒の中をコードが走ってるんじゃないでしょうね。昔なんどか入ってますがどんな天井だったか記憶にありません。フラットだったような・・・
これが現在の姿です。

聞くところによると、以前建っていた場所から曳家したそうです。その時線路を超えて曳いたと聞いたような気もします。はっきりしませんが。
現在はある電気工事会社のものになっています。この建物を取得するときに白井建築を残したいので取得したと新聞で見ました。以前は看板に白井晟一設計とか書いてあったような気がしますが、この写真を撮りに行ったときにはもうその看板はありませんでした。
外壁も、バルコニーの手摺も変わってます。開口部も殆どFixだったのが引違のアルミサッシに変わってます。
これはたぶん竣工時に配られた概要を示すものです。ハガキ大です。

しっかりと建築設計 東京白井晟一建築研究所と書いてあります。
あるHPでは軒の出を短くしたために、白井晟一が激怒して白井作品と認めなかったと書いてありました。たしかに以前誰かに軒を短くしたというような話しを聞きました。
出来ればこんど中を見せていただきたいと思います。
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