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法令集の不思議

普段いろいろな建物を設計するのに、私たち建築設計事務所の人間には建築基準法の法令集は欠かせない物です。

建築に関係する法律には建築基準法の他に消防法やその他いろいろな建築関係と、基準の法規の他にさらに細かく規定された告示というものがあります。その告示を現在使っている法令集で見ていたら、ふと!おかしなことに気づきました。

よ〜〜〜く見ると、告示の番号とページ数が一致しているところが多々あるのです。
例えば「平12建告1367」は1367ページに、「平12建告1369」は1369ページにと。

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さらによく見ると平12建告◯◯◯◯というのは沢山あって、それぞれその番号に結構近いページに書かれているのが多いのです。これってわざわざ狙ってそのページにしてるのかな〜? ・・まさかこの法令集のページに合わせて告示の番号を決めているはずは・・・ないだろうし。 なんか不思議です。

使っているのはこの本。(建築関係法令集はこの本の他に数種類出版されています)

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告示はずっと後ろの方に乗っているので、うまい具合にあわせられそうだと気づいた出版社が検索しやすくするためにあわせられる所は合わせているのではと思ったり。だとすると、井上書院 えらい! 

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今年も子供達が職場体験に来た

21日と22日は市内の中学校の2年の生徒がアトリエ105に職場体験に来ました。昨年は男子ばかり4人でしたが、今年は二人の男女です。しかも学校もちがう。来年度から統合となる花岡中学と二中の子達です。話を聞くとこの二校に矢立中学の3校が来年から統合になりますが、その3校で少年自然の家に2泊して交流をしていて、日中は希望の職場へ体験学習に出ているとのこと。
大きな企業ならともかく、我事務所のような極細企業によくぞ来てくれました。この経験から、もしかしたら将来建築をめざすことになるかもしれないと思い、精一杯対応しました。

今回は二日間の日程なので、何を経験してもらうか悩みましたが、やっぱり昨年と同じく自分の住みたい家を設計してもらいました。しかも今回はその家の模型まで作成と、ちょっと子供達にはハードなものになりました。
それでも、8:30から午後3:00まで、途中お昼休み1時間の他は言葉もなく黙々と取り組んで、なんとか完成させて帰りました。

子供達と完成した模型です。
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実は21、22日は仙台で新住協の総会があったので、そちらにも出席したかったのですが、学校からの依頼が新住協の総会のお知らせよりずっと早くにあったので、総会には出れませんでした。

この総会で、当方で設計した「秋田東通りの家」が紹介されているはずで、その説明は施工を担当した志村さんが発表することになっていました。・・・(志村さんどうでしたか〜 特に鎌田先生の反応は??)・・

被災地を訪れて つづき

手前に見えるホームの白線の跡でここが電車のホームだったことがわかります。人が立っている所がBRTのバスが走る専用道です。ここから海岸側は震災で地盤が下がり、満潮時などは冠水するのだそうです。道路は以前の高さまで盛り土して造られているので大丈夫と、翌日ホテルから乗ったタクシーの運転手さんが教えてくれました。
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大船渡に居れたのは夕方と翌日の午前の早い時間帯で、しかも日曜、祭日だったので、人通りもほとんどなく寂しい感じでした。(人通りのなさは大館も同じですが・・・)

これがBRTのバスです。走り出す時に車高がすっと上がる感じがあったので、気づかないうちに止まる時に車高が下がって乗り降りがしやすいように出来てるのかもしれません。車イスのマークもついてるし。
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震災地を訪れて

5月5日の還暦を迎える朝は大船渡のホテルでした。4日から釜石をまわって、大船渡に宿泊し、気仙沼を通って帰る一泊旅行です。少しでも岩手県や宮城県に還元したいと思い、車は使わず電車などの公共機関をつかっての旅にしました。震災から既に3年以上経過し、物珍しさを見に観光に行ってはいけないという心理状態も変わって、行って少しでもお金を落とすこともいいのだと思うようになって、ようやく行ってくることが出来ました。

釜石ではレンタサイクルを借りて市内を廻りました。かさ上げなどが行われている様子もなく、沿岸近くに大きなイオンが出来ているのに驚きました。市内の少し高い所にある市役所付近の建物の2階当たりに、津波がここまで来たという記しがあり、同じような津波が来ると完全にアウトだろうなと思いながら、今後の釜石市の対策など全く分からないのでなんとも言えませんが、大丈夫なんだろうかと不思議でした。

釜石から南リアス線に乗って大船渡へ向かいました。乗った電車にはレトロ客車もありましたが、既に指定席は一杯で、残念ながら普通の客車でした。車内ではシロウトっぽいちょっと辿々しい案内で、途中の見所などのアナウンスがありました。前にテレビに出ていた高校生や大学生のアナウンサーかな?。リアス線が復活してちょうど1ヶ月で、この線への存続への思いが伝わりました。見所などで電車は泊まったり、ゆっくり走ったりしながら、詳しいアナウンスがあり、車では得られない情報があって、車でなくて良かったと思いました。

大船渡の盛という駅で南リアス線は終わって、そこから大船渡駅までBRTという消えたJR大船渡線上を走るバスでの移動です。このバスを運転するのは元の電車の運転手か、または新たに採用したバスの運転手なんだろうかと、バカなことに思いを馳せながら大船渡駅で降りると、そこは何もない所でした。いや、いくつかは新しい建物が既に建っていますが、でもここが震災前は町の中心部とは思えず、なんとも荒涼とした感じで、何もないと感じたのかもしれません。

事前に調べて大船渡駅は消滅したことは知っていましたが、実際に目のあたりにすると、やはり衝撃です。
海岸側には震災直後にテレビニュースなどに何度か出て来たプラザホテルが綺麗な状態でありました。あのホテルの屋上近くまで津波は押し寄せ、屋上で助けを待つ映像が蘇ります。(泊まったのはこのホテルではありません)

そのホテルの奥ではかさ上げ工事が行われているようです。地面に残る柱の跡などから、ここに駅舎があったことが知れます。
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バス停のような現在の大船渡駅。実際に走っているのもバスなので、これでいいのでしょうが。その向こうにすでに建物などが建ち始めています。駅のちょうど後ろ側には仮設の復興商店街がありました。店舗が開いている時間には行けなかったので、賑わっているかどうかは分かりません。どうなんでしょう。
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つづく・・・かもしれない?