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震災地を訪れて

5月5日の還暦を迎える朝は大船渡のホテルでした。4日から釜石をまわって、大船渡に宿泊し、気仙沼を通って帰る一泊旅行です。少しでも岩手県や宮城県に還元したいと思い、車は使わず電車などの公共機関をつかっての旅にしました。震災から既に3年以上経過し、物珍しさを見に観光に行ってはいけないという心理状態も変わって、行って少しでもお金を落とすこともいいのだと思うようになって、ようやく行ってくることが出来ました。

釜石ではレンタサイクルを借りて市内を廻りました。かさ上げなどが行われている様子もなく、沿岸近くに大きなイオンが出来ているのに驚きました。市内の少し高い所にある市役所付近の建物の2階当たりに、津波がここまで来たという記しがあり、同じような津波が来ると完全にアウトだろうなと思いながら、今後の釜石市の対策など全く分からないのでなんとも言えませんが、大丈夫なんだろうかと不思議でした。

釜石から南リアス線に乗って大船渡へ向かいました。乗った電車にはレトロ客車もありましたが、既に指定席は一杯で、残念ながら普通の客車でした。車内ではシロウトっぽいちょっと辿々しい案内で、途中の見所などのアナウンスがありました。前にテレビに出ていた高校生や大学生のアナウンサーかな?。リアス線が復活してちょうど1ヶ月で、この線への存続への思いが伝わりました。見所などで電車は泊まったり、ゆっくり走ったりしながら、詳しいアナウンスがあり、車では得られない情報があって、車でなくて良かったと思いました。

大船渡の盛という駅で南リアス線は終わって、そこから大船渡駅までBRTという消えたJR大船渡線上を走るバスでの移動です。このバスを運転するのは元の電車の運転手か、または新たに採用したバスの運転手なんだろうかと、バカなことに思いを馳せながら大船渡駅で降りると、そこは何もない所でした。いや、いくつかは新しい建物が既に建っていますが、でもここが震災前は町の中心部とは思えず、なんとも荒涼とした感じで、何もないと感じたのかもしれません。

事前に調べて大船渡駅は消滅したことは知っていましたが、実際に目のあたりにすると、やはり衝撃です。
海岸側には震災直後にテレビニュースなどに何度か出て来たプラザホテルが綺麗な状態でありました。あのホテルの屋上近くまで津波は押し寄せ、屋上で助けを待つ映像が蘇ります。(泊まったのはこのホテルではありません)

そのホテルの奥ではかさ上げ工事が行われているようです。地面に残る柱の跡などから、ここに駅舎があったことが知れます。
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バス停のような現在の大船渡駅。実際に走っているのもバスなので、これでいいのでしょうが。その向こうにすでに建物などが建ち始めています。駅のちょうど後ろ側には仮設の復興商店街がありました。店舗が開いている時間には行けなかったので、賑わっているかどうかは分かりません。どうなんでしょう。
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つづく・・・かもしれない?

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